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シリーズ! 事務所職員による『兵庫の魅力を伝え隊』⑧西国街道
2021年3月9日(火曜日)
みなさまこんにちは!事務所勤務の職員、K本です(^^♪
お久しぶりの投稿になります。ブログが新しくなり、現在、装飾の仕方を勉強中です・・・。段落などが読みにくくなっていないか心配しておりますが、ご容赦を((+_+))今回の記事はほぼ絵文字なしで、ほぼモノクロになりますが、ご辛抱を。
このシリーズを始めて今回で8回目となります。主に施設近隣の歴史などをご紹介してきましたが、「果たして読んでくれている人はいるのだろうか」と自問自答が始まっておりました。キリの良い数字としてラッキーセブンの7回目で終了しようかとも考えておりました。そんなとき、K本に対して「いつも読んでるよ」、「へぇ~と勉強になっています」と他職員の皆様から温かい応援をいただきました。ほんといい職場ですよ(/ω\)
そういうことで、今後ますます調子に乗って書いていこうと思います(笑)もっともっとディープな兵庫マニアになってもらいましょう(^o^)丿
さて、一気にマニアックですが(笑)、今回は「西国街道」についてです。知らない?じゃあ「山陽道です」と言ったら?まだピンと来ない(/ω\)では、今の「国道2号線」と言っちゃいましょう!(※厳密には全部少しづつ違います)
私たちの施設の前には、西日本における交通の大動脈「国道2号線」が通っています。現在では大阪府から福岡県までを結ぶ約596kmの幹線道路です。古代から重要な道路で「山陽道」と呼ばれました。また、江戸時代には「西国街道」と呼ばれ、九州から京都に物や人が運ばれていき、この道沿いに都市が栄えていきました。昔の西国街道と全く同じルートを2号線が通っているわけではありません。詳しくは割愛しますが、今日はそんな西国街道の中でこんな部分が兵庫区にあります↓
当時は、前回に紹介したえびす神社のところを通っていましたが、わざわざカクっと曲がって、さらにまた90度に折れ曲がって元の2号線沿線に戻っています。なぞの直角「札場の辻」を通る部分とは?この場所に行ってきました!
今は江戸時代からある道標だけですが、ここには札場という役所がありました。簡単に言うといろいろな取引をするところです。そして上の地図を見てみると、すぐ近くまで港(大輪田泊)があるのがわかりますね。つまりここは、「海から運ばれてきた物と、陸から運ばれてきたものを取引するため」の重要な場所だったのです。上の地図にもうひとつ「岡方倶楽部」という場所があります。行ってきました↓
こちらは、兵庫の港に札場があったことで、昭和2年に建造された建物です(築 御年95歳。地震も戦争も耐え抜いた)。レトロ感がありますね。主要な目的は当時の自治会館でしたが、その他にも今でいう商工会議所、税関、地方裁判所まで色々な機能がありました。
ここからが本題です(* ´艸`)クスクス この直角に曲がった部分と、札場、岡方倶楽部があったことで、神戸の大都市が生まれたのです。
大阪、京都、奈良など中央政権がある都から程よい位置にあり、海運・陸運に優れた港があり、山陽地方や九州へ行くのにも必ず通るこの場所は、古代から江戸時代の末期まで大変栄えました。そして、日本が開国する際に5つの港が開港されましたが、神戸が入っているのはこのような西日本の経済の中心的な役割を担っていたからです(神戸の他は、箱館・横浜・新潟・長崎)。その後は大きな貿易港となり、ますます経済的な発展を見せていき、現在の大都市が形成されていきました。つまり、この場所がなければ、今の三ノ宮の街並みや神戸の近代化もなかったかもしれない、まさに歴史の曲がり角なのです(笑)
ひとつのパンフレットができてしまいそうなくらいの文章を書いてしまいました(/ω\)歴史にこれっぽっちも興味がない方ごめんなさいm(_ _)m
実はこのお話、ほとんどは地域にお住いの高齢者の方々から聞いたお話をまとめたものです。中には史実でないこともあるかもしれません。でもロマンがあるので、私は好きです(^^♪
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました(^o^)丿 次回はきれいな写真をもっと撮ってきますのでお楽しみに。